2012年4月29日日曜日

やまは家族で -舞鶴山- -人間将棋-(Ⅰ)

真っ白でした。月山。
なるほど、月の名がぴったり。

昨年夏に、月山(番外編)へ行った帰りに天童へ寄った時は、雲に隠れていて見ることが出来ませんでした。東側からの眺めもすばらしい。


数日前の天気予報では、この日、曇りの予報でしたが、日が近づくにつれて予報が上向き、当日はピーカンでした。4月21日。

今回は、このために来ました。



実は今回、ETC初体験!だったことも、忘れないうちに申し添えておきます。今さらなんですけれども。ゲートを通る時は『ほんとに開くのか??』ドキドキしました。

道の駅 天童温泉〜わくわくランド〜に車をとめて、シャトルバスで会場へ。


舞鶴公園に着くと・・
何か↑に手招きされちゃいました。

あやしい・・まわりには黒スーツの男たち。『いったい、お前は誰だ』心の中でつぶやきながら近づくと、山形県警のマスコットだったようで、カモンくんっておっしゃるんですね。存じませんで失礼いたしました。子供は最後まで寄り付こうとしなかった(笑)。

生まれて初めて白バイに。
でかかった。股ぐらがいっぱいこっぱいな感じ。


会場を見下ろす供養塔では、将棋供養祭の最中でした。


天童さくら祭、いつもの年なら満開の桜が楽しめる時期なんだそうですが、今年はまだ咲いていませんでした。でも、つぼみの先にピンク色が見えていてあともうちょい、といった感じでしたね。



葉山



対局前のアトラクション


けっこう、きまってました。


裏手にまわると・・
人間将棋、彼らが主役です。



対局は織田信長公の御前試合という仕立て。

鎧兜姿がずらりと並んで壮観です。


一昨年は雨で屋内での開催、昨年は震災の影響で中止、舞鶴山での開催は2年ぶりだったそうです。


上田初美女王

鈴木環那女流初段

対局は、二人が解説者といっしょにおしゃべりしながら進んでいき、ゆる〜い感じでした。(歩役のひとに)「ずっと動かせなくてごめんなさい。○×歩!」とか。そういうのがとても楽しかった。




勝負は、鈴木環那女流初段に軍配。女王の方は最後まで不動駒のないように配慮していましたね。楽しい対局でした。


小学校の頃、NHKテレビ将棋をよく見てましたけど、また今度見てみようかっていう気になりました。


昨年夏につづいて、二度目の天童。晴天にも恵まれてよい一日でした。



つづく〜

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2012年4月26日木曜日

筑波山 -周遊-(5,白雲橋コース)

15時ちょい前、女体山。ここからは白雲橋コースを下ることにしました。


10数年、山から離れていた後で、ふと、またやってみようかと思い立って来たのが、この白雲橋コース。2年前のことでした。


なぜ離れてたか。。具体的な理由はいろいろですが、いちばん根本的なところは、何と言うか、自分を縛ってたんですね。良く分からない決まりを心の中に作って。『俺ぁマッチョに仕事すんダ』みたいな。


当時に比べると今はうんと、自分のことも周りのことも見えてる自信があります。思い返すと、自分一人で生きていけるって突っ張ってました。


そういう時って、やってる割に仕事もあんまりうまくいかないですね。ムキムキしていない今の方がずっとうまくいってる気がします。ま、がむしゃらにやってた当時があるから、今の自分があるっていうのも本当のところですが。


大きな転機は8年前にやってきました。腰を痛めたんです。ぎっくり腰とかではないです。デスクで仕事中、突然、アイスピックでギリギリ突き刺されるような痛みがお尻から腰にかけて走りました。脂汗がでて、もお真っ青です。仕事なんかできません。立っていても座っていても横になっても同じ。じっと痛みに耐えるしかありませんでした。


いつかテレビ番組で、心理的にストレスがかかると、運動していなくても腰の筋肉が緊張しているという話をやっていました。今思えば正しくそれです。あれこれ一人で抱え込んだ上、完璧にやろうとして、ストレスフルな精神状態を自分で作り出していました。身体は正直に応えたのです。心理的な緊張にともなう負荷を腰椎に蓄積し、ついに破綻したのでした。

振り返って女体山


ほんとに情けない日々で。。それまで普通にできていた一挙手一投足が、満足にできません。仕事でキーボードをたたいていて、右手をマウスに運ぶのさえ煩わしい。ストーブの灯油を運ぶのなんてもちろんダメ。妻にやってもらいました。その頃、息子が生まれましたが(あちらの方は何故か可能だった!)、体重数kgの我が子を抱っこできないのです。これには本っ当にへこみました。職場で「腰が・・」とでも口走ろうものなら、茶飲み話のネタにされ、翌日から挨拶代わりに「腰」「腰」「腰」と。


腰をこわしたことで失ったもの・・たくさんあるのかもしれません。が、今じゃそんなもの屁でもないです。仕事もプライベートも満足にできないその間に、生き方・見方がグルッと変わったんです。なんでも俺のもんだ!と抱え込んでいたのを、優先順位をつけ、無理なものは物心ともに抱えないようになりました。いま流行の断捨離に、当時(一部)成功したのです(あくまで一部、今でも物は多いし机はきたない)。


肢体に麻痺の残る方が公園で歩いておられるのを見て、以前はかわいそうだと思っていました。今はトップアスリートのチャレンジを見ている気になります。身体に不自由をかかえながら、一日一日の日課をこなすのは、それ自体チャレンジ。公園を半周でも自分の足で歩けた時の嬉しさときたら、もお。。




もう一つの転機は、仕事で海外に短期間滞在したこと。腰の痛みはほとんどおさまった頃でした。唐突に「お前ちょっと来てみる?」と先方に誘われ、はいはいと二つ返事で渡航することになりました。


弁慶茶屋跡から女体山



滞在先は、ほんとに、い〜ぃ所で。。私が滞在していた頃はちょうどお花の時期で、どこへ行っても野花がたくさん咲いていました。国内では目にしたことのないものがほとんど。というか、それまで花なんか見向きもしてなかったんですね。子供の頃、父がお花の写真を撮って喜んでたりするのを見て、『いったい何が楽しいんだ』って思ってました。




海外へ行って生活環境が変わり、新鮮な気持ちで外的な世界を見てたんでしょうか。そういうのもあって、お花に目がいったのかもしれません。夢中でお花の写真を撮っては(あくまで余暇としてね)、土地の花の図鑑とつき合わせて、名前を調べました。名前が分かると親しみがぐっと増します。図らずも父と同じことをやり始めたわけで、これには自分でも笑ってしまいました。



白雲橋コースと迎場コースの分岐



月曜日に職場で仲間と会うと、「週末は何してた?」みたいな話になり、「仕事してた」とか言ってしまうと『こいつはバカで不幸なやつだ』と烙印をおされそうな雰囲気です。「せっかくなんだから休みとって遊んでこい」とまで。



渡航費から滞在費と先方が全部もってくれていたこともあり、滞在中にきっちり仕事していこうと自分なりに真面目に考えていたんですが、それがアホらしくなるくらいで。

なんか、以前の自分の生き方を、笑い飛ばされた感じですかね。




今、鳥や花や木を見て、あの鳥がいる、この花が咲いた、あの樹はなに・・などとやってる自分から、以前の自分を顧みると、いかに外の世界を見ずに無頓着に生きていたことか、唖然とします。人に対しても同じ。なんと傍若無人に振る舞っていたことか。。

御神橋


この先10年後とかに、今の自分を思い返して、また同じことを言ってるかもしれませんね。(うわ、恐ろし)


久しぶりの白雲橋コースを歩きながら、そして今こうやって作文しながら、『あん時は、あーだったなぁ』と。。

人生の定点観測、たまには独り落ち着いて来し方を振り返るのも必要ですかね。

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